2013年09月23日

[いろいろな文章] 逆張り

以前、音楽は今後どうなっていくんだろうって思って書いたけど
それから多分もう2年くらいたっているだろう。
その2年の間に何かが大きく変わっているのかというと
どうも僕にはあまり変わっていないように見える。
もちろんアイドルというジャンル(というか別ととらえるべきか)が
大きく成長したし、
ニコニコ動画で活躍する人々もたくさん出てきているみたい。
でも、僕にはなんだか遠いことのように感じられてしまっている。
僕も年を取ったんだな、と思うと同時に、
でもSoundCloudで回ってくる英米の新しい音楽を聴いていたほうが楽しい、
という自分を思うに、
いつからか日本は独自路線を突き進みはじめ、
僕はそれについていけていない、ということなのかもしれない。

まあ、ニコニコ動画のような既に人々がたくさん参加しているところに
今から参加して、競争して、頭一つ抜け出るためには
たぶん自分の作風から何から全部変えて環境に適応していかないといけないのだろうと思うけど、
今までだって環境に適応しようとして変えようとして
あんまりうまく適応できていないし、ものすごく時間かかっていることを考えると
きっとまた適応したころには時代遅れになってしまうくらい
致命的にうまくいかなそうな気がする。

であれば、まあ、ニコニコ動画やら何やらにシフトするのではなく
自分の道を行くしかないのかな、と思う今日この頃。

逆張り戦略だ。時代と逆のことをやっていこうと思う。


別名、無策ともいう。。。
posted by シシドヒナタ at 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろな文章
2012年11月27日

[いろいろな文章] 「川と花」について



「川と花」は、別れの歌だ。もう二度と会えない友人を送る歌だ。僕は一度そういう曲を作ってみたかった。だからそういう意味ではこの曲はとてもエゴイスティックな歌だ。自分の作りたいという欲望の為に、二度と会えない友人というテーマを設定してしまうという。一方で、自分の大切な気持ちはあまり大切にしすぎてはいけないと思う。だからいいのだ、とも思う。
 大きな川があって、それは下流の川で水量が多く、また幅も広い。向こう側に小さく誰かがいるようにも見える。とても寒くて息が白くて手もかじかむ。だから逆に自分の体が生身なんだと感じられる。ここは長くいてはいけない場所なんだと思ってみる。今はもういない知り合いの、肉体を構成する原子が世界中に散らばっていくことを想像してみる。それはそれほど悪くないことのように思える。
 そういうイメージで曲を作っていた。もちろん聴いた人がどう感じるかはその人の自由だし、自由に感じられるように作っているので、聴いた人がどんな感想を持つのかは楽しみでもある。

http://soundcloud.com/shishidohinata/river-and-flower

 雅楽の「越天楽」で出てくる笙みたいな音は、エレキギターをE-Bowというフィードバック発生グッズで鳴らした音を何回も重ねてみたらできた。雅楽のコード感というか構造みたいなのも参考にした。オーケストラで演奏開始前の音合わせみたいなのもイメージした。とか自分で言っちゃうのは恥ずかしいことなのだろうか。まあ、いいや。

シシドヒナタ
posted by シシドヒナタ at 00:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろな文章
2012年10月23日

[いろいろな文章] パスタを作ったというとてもくどい日記

台所かたすのめんどい

気がつくと台所の三角コーナーに、
ねずみ色のブロッコリーのような物体がたくさん生えていた。
シンクには空瓶やらペットボトルやらが放置され、
数少ない食器も全て使ったまま捨て置かれていて、
かたすのがちょーめんどい。

とりあえず青カビらしき物体にはカビキラーをかけてみた。
酔った時に作った、カレーのおかゆみたいな謎料理に主に生えているので
カレーって傷みやすいんだな、と思った。

かたすのめんどいし
料理するのめんどいので
外で食べようとぶらついたのだけど、
ほんとはそろそろ野菜をちゃんと取らないと
気分が落ち込んでくるころだ。

栄養が不足すると気分がすごく落ち込んでくるのを
二人暮らしを解消した後に知った。

三角コーナーの生ゴミかたすのは気が滅入る。
ペットボトルを洗うのもかったるい。
かといって外食もあまり心惹かれない。

いろいろめんどい気が滅入ると思っている時点でもう
栄養が不足し始めているってことだと、ふと気づいたので
なんとか料理することにした。

直感で生トマが不足していると思った(思い込み)。
生トマ=生トマトです。
近くの100均スーパーで生トマ一個を手にとって、
他の野菜を眺めてみた。

ブロッコリーは今はなんとなく嫌だと思った。
ほうれん草もあまり。。。
小松菜をトマトに合わせたことがないので小松菜にしてみた。
あと、少しくらいは動物性の美味しい成分がほしい。
けど、ベーコンは最近はあまり好きじゃない。
(市販のベーコンは練り物だと聞いてから。情報に踊らされている)
ので、ひき肉にすることにした。

生トマと小松菜のラグーパスタ

にしようと思ったら、少しだけワクワクしてきた。
あえてミートソースじゃなくラグーって言ってみた(心の中で)。
そのほうが小癪な感じに小洒落ていて、
情報に踊らされている感じでいい、と思った。

というわけで買って帰った。
台所に行き、まな板を出したところで
三角コーナーのカビが目についたので
仕方なくレジ袋に放り込んだ。

今日はこれで行く

冷蔵庫を開けてにんにくを探したが、最後の方の不恰好な一切しか残っていなかった。
パスタ茹でる用に鍋にお湯を張って火を付けた。茹で時間短縮。

いつもはパスタは中華鍋で作るのだけど、
小松菜みたいな草を煮ると鍋表面の油が取れてしまう気がするので
雪平鍋にした(インスタントラーメン作るやつね)。

ひとまず雪平鍋にオリーブオイルを入れて、みじん切りにしたにんにくを入れ弱火。
その間にちっちゃい玉ねぎ半分を刻む。

刻むのに夢中になって、にんにくがすげえ小麦色になってしまった。
急いでひき肉を投入。鍋にくっつく。けど無視してほっとく。

玉ねぎを刻み終わったら、お玉でひき肉を混ぜつつ炒める。
時々お玉でひき肉を潰したりするとすぐにパラパラになる。
肉が茶色になったら玉ねぎを投入。ざっと混ぜてほっとく。

生トマのヘタをむしり取る。むしり取っておくと切るときに
ヘタが邪魔にならないのだ。

皮ごと生トマを切る。細かく刻んでしまえば皮なんてあまり気にならないのだ。
刻んだらすぐに生トマ投入。中火。

パスタ鍋が茹だっているのでパスタを測って投入。
測っていれないとついつい食べ過ぎてしまうためだ。
現在は125gということにしている。

入れ終わったら、ミートソースの鍋を弱火に。
生トマは強火にすると酸っぱくなる。
逆にホールトマトは弱火だと酸っぱくなる。
ホールトマトは多少焦げるくらい強火が美味しいと思う。
塩小さじ半分と胡椒。塩は一人前ならどんな料理でもだいたい小さじ半分だ。
普通のトマトソースなら胡椒なんてあったってなくったって変わらないと思うけど
ミートソースは胡椒を入れたほうが美味しいと思う。

小松菜3本を2cmくらいに刻む。
まな板で手を使って茎と葉を混ぜる。
先に混ぜておくとソースに混ぜた時に葉っぱ同士で固まりにくいのだ。

茹だるのを待つ。

パスタ盛る皿がないので仕方なく洗う。一枚だけ。
洗い終わってパスタを見てみたら、まあもう茹だったかなあ、という感じ。
雪平鍋に投入。雪平鍋だとパスタとソースを混ぜにくい。

皿に盛る。できた。
でけた


小松菜のせいでシャクシャクしすぎるかなあと思ったけど
食べてみたらそうでもなかった。
わりに旨みが出てて美味しかった。
少し元気が出た。

ちょーどーでもいい日記でした。
Instagramと連携してみた。
タグ:パスタ
posted by シシドヒナタ at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろな文章
2012年10月12日

[いろいろな文章] まとわりつかれたまま。

最近久しぶりに空を飛ぶ夢をみた。
5年くらい前はしょっちゅう見ていたのに
今ではすっかり見なくなったし、それどころか夢自体をあまり見なくなってしまった。
何かそれが自分の脳の劣化を示しているようで悲しかったのだけど。

今回見た空飛ぶ夢は、飛ぶまでの過程で何か不吉な若い男と出会い
また何か別件で逃げなくてはいけない時に、空を飛ぼうとすると
その青白い顔をした若い男が、
無表情で体にまとわりついてくる。
それでも無理やり飛ぼうとすると何とか飛べた。
脇のあたりを男にまとわりつかれたまま。

目が合う。
男は無表情で僕を見ている。

男の背後には小さくなった建物が見えている。
久しぶりの開放感を満喫した。

まとわりつかれたまま。
タグ:夢日記
posted by シシドヒナタ at 07:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろな文章
2012年09月26日

[いろいろな文章] 「おおかみこどもの雨と雪」を観た。

一ヶ月くらい前に、「おおかみこどもの雨と雪」を観た。
楽しめたのだけど、何か個人的な心情に来るものがない、と思った。
それは僕が親になったことがないからかもしれないけど、
経験がないからといって作品の良さを感じれないのは悲しいことだ、と思った。

なぜなら、多かれ少なかれ作品というものは
その経験がない者へ、その経験や感情を伝える為に存在すると思うからだ。

その後「おおかみこどもの雨と雪」については
僕の頭からは結構、忘れてしまっていた。

そんなある日、ふと下記のような感想を見つけた。

『おおかみこどもの雨と雪』を観てきた(ネタバレあり)
http://blog.ihatovo.com/archives/5196
「おおかみこどもの雨と雪」を観た時より、よいものを読んだ気持ちがした。
彼女のような感受性を僕が持っていなかったことを残念に思った。

・花は完全無欠な母親なのではなく、だんだんと母親に成っていったんだということ
・雪の健気で悲しいところ
・母親は間違えるのだということ

僕は感想を読んで、改めてこの作品を観たような気分になった。
それはちょっと嬉しい経験だった。

僕も高校大学時代に
「親にとって、親であることは初体験のことなんだ」
と思い至り、親の間違いを許すようになったという経験があったことを思い出した。
また、自分に当てはめて
僕の母親にとっては、僕は全くもって雨みたいな存在なのかもしれないなと思った。
親不孝具合が似ている気がする。

子供も自分勝手だけど、親というもの自分勝手なもんなんだなと。
posted by シシドヒナタ at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろな文章
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